密教の現実 

すべてキカイダーのように作り上げて、現実で表れている人はしんじられないとおもいます。そのような人に限って、話せばこの人にやらせればといいます。人は何を肯定するかによって決まります。ふつうはそれだけでわかる人もいれば、だまされる人もいます。それはさまざまな業だと思います。その人は何をどのようにして生きてきたかによって決まると思います。よく言ってくれればいいじゃないといいますが、果たして、そのような人に言うでしょうか?もしくは、友達でもないのに、信じられません。なぜそのような言葉がはっせられるのか、まったく理解できません。しかしそのような人に限って、人を裏切るのですよね。

 

要は自分の心の嫉妬や闘争ですね。それだけでしたらいいが、要は好き嫌いに当たることだと思います。自分は平気なのに、人の業を受けたらそうなることもあります。それには自分をよく知らなければならないと思います。密教とは、自分の意識の改革であります。自分の潜在意識(アーラヤ識)、末那識のことです。時代により、さまざまな密教の形がありますが、テゥモによって、自分の修業がありますので、今現在は?自分で自分の心をどのように見つめるのでしょうか?それもできいないのに、偉そうに、している人は、果たしてどのような宗教なのでしょうか?

 

それは、新道でも、仏教でもありません。