あっ。忘れてました。毎日のこと。

最近

ストレスを解消するために愚痴を言えるようになりました。以前は少しは言ってましたが、それが、今は大夫楽になりました。すっかり忘れていました。愚痴を言うのもストレスの解消の一つですね。

 

仕事って難しいです。というのも、体を使っている仕事と、頭を使う仕事です。使う神経も違うし、やり方も違う。その中で今までやってきたのに、わざとです。それを知っていたかのように、無理難題です。要は敵でした。あの環境の中でどうやってやっていくのか、やっていけるほうが難しいです。でも、それが、今の現実かもしれません。しかし、あれではひどすぎる。どんなに心ざしが高くとも、へこたれますね。というより、それにあった人が来るまで待つしかありませんね。そうすれば、すべてうまくいく。

 

私は合いませんでした。霊性での失敗でも、怒鳴られるし、結局は、自分も失敗しているのに、自分は放置で、相手には、怒鳴る。要は、嫌いなわけですよ。それで、自分も私たちの言う通りにしていたという感じで。仕事中にできるわけありません。それに、霊性でのあり方で嫌がらせなんて、信じられない。それで、私がその人なんて感じで言われっぱなし、そんな人が、新人の教育係ですよ。何が、超えてよ。それに、調子に乗らないで、なんて、自分がやっておいて、なんで、私が言われるのか理解できません。要は、それがわたしですか?どういうこと?抜いているということ?

 

それで、自分の肯定をしようとしているし、そんなやり方で私がよくなると思うの?私たちが楽しくないよね。自分ばかり、霊性での嫌がらせなら、霊性ですよね。

そんな状態で自分の心を見つめるなんてできるはずがないのに。霊性できづかないから、自分が悪いとでも。信じられない。そんな考え。

 

本に書いてありました。何度か読み直して気が付いたのですが、「毒を持って毒を制す」とありました。これだと思いました。霊性なら霊性で対応するしかありません。

要は、霊性も修行の途中ですから、それによって、他人を修正することは不可能です。信じられないおごりと言いようしかありません。

 

結局は、自分の心の在り方を修正するだけですから。でも、以前密教が流行っていた時は、自分でもありましたが、心において、文語と口語に分けたほうがいいといっていました。要は、口語は口で話しているような感じで、文語は心です。そして、瞑想で直す問ことです。本来はこんなところでは会話が成立しませんので、瞑想をし、座禅をすることにより、精神統一ができるということです。そのようなやり方で直していかないと、壊れます。

 

また、密教無意識の世界の修業なので、自分のきづかないこともあります。だから、本来自分なら、喧嘩も自分ですよね。見えないところでの、喧嘩。要はその人の、潜在意識ということで、私たちを嫌っているということです。昔から。

もしくは、都合によって、これが、だれだれという事は全くないと思います。其れだったら、その相手も壊れているということですよね。其れか、誰かと話しているのか?それか、自分たちはそうやってきたので、結局は今までの、敵ということです。

 

滴も同じです。ナーディによって、わからなくなっているだけで、本来は、ただ、滴が入っているだけです。それから、どう回避するかです。自然治療力で、性欲を昇華させることができるので、それが、密教だったらとしたら、昇華してしまうということです。

 

回避の仕方はわかりますので、要は、それを切り離していかないといけないということです。4次元世界かな。。